安易に行われている手術も少なくない(写真はイメージです) Photo:PIXTA

腰痛はつらいものだ。とにかく、この長く続く痛みから解放されたいと思い、治療手段として手術を安易に選択する人も少なくない。しかし、その「手術」という選択は正しいのだろうか。「痛み」の治療の専門家である横浜市立大学付属市民総合医療センターの北原雅樹医師に取材した。(医療ジャーナリスト 木原洋美)

手術の効果は1ヵ月で消え
薬物療法で体調悪化

「この痛みと体調の悪さは、生涯治らないのでしょうか。だとしたら、私はもう、苦しむためだけに生きているようなものです」

痛み治療で名高い、横浜市立大学付属市民総合医療センターの北原雅樹医師に対して、男性(90代)は涙ながらに訴えた。

腰痛に苦しみ、複数の病院を渡り歩いてきた男性がカバンから取り出して見せてくれたのは、がんの緩和ケアなどで処方される強力な痛み止めと、うつ病や統合性失調症患者によく処方される不安や緊張を和らげる薬だった。腰痛への投与は認められているが、高齢者への投与は、重い副作用がある場合が多いため、慎重に行う必要がある。

「この薬を飲むと、頭はボーッっとするし、だるくて動けないし、食欲もなくなるし、何もできなくなってしまうのです。かといって飲まないと痛くて、トイレに行くのも大変です」

およそ1年前、男性は、“奇跡のように腰痛を治療する”ことで知られる、有名整形外科医のもとを受診した。

診断は「脊椎管狭窄症(せきついかんきょうさくしょう)」。身体への負担が小さく、日帰りで行える内視鏡手術を受けた。

「局所麻酔で、意識があるまま、先生と会話しながらの手術でした。途中『ちょっと押される感じがしますけどね、大丈夫ですよ』とか声をかけていただきましたが、正直、ちょっとどころじゃなく痛かったです。それに恐怖心もありました。でも、術後、ちょっと休んだだけで痛みがうそのように消えて、歩けるようになったんですよ。あの時はうれしかった」

 痛み治療で名高い、横浜市立大学付属市民総合医療センターの北原正樹医師

しかし、治療効果は長続きしなかった。1ヵ月ほどで腰痛再発。次に訪れたのは、都心にある大学病院の整形外科だった。診断名は「椎間板ヘルニア」。

やはり、内視鏡での手術を勧められたが、前回の手術後、すぐに痛みが再発したことを考えると、とても受ける気にはなれなかった。

「それで、『もう手術は勘弁してください』と断ったら、神経ブロック注射を進められました。でも神経ブロックは、以前受けたことがあるんですよ。効かなかったんです。それで断ったら、薬をたんまり処方されました」

枯れ枝のように痩せ細った手足を震わせながら話す男性は、診察室の椅子に座っているのさえつらそうだった。

1時間以上にも及ぶ診察の後、北原医師が下した診断は、意外なものだった。

「その腰痛は、手術後のリハビリ不足と栄養失調が原因です。そもそも高齢者に、手術のような侵襲性の高い(患者の体に負担の多い)治療を行うのはどうかと思いますし、手術自体、本当に必要だったのか疑問です。術後に年齢や日常生活に見合ったリハビリをさせないのもいけない。アメリカでは承認すらされていない身体に悪影響のある薬を処方しているのも言語道断。今後は、痛みをコントロールしながら、専門的なリハビリテーションと食事療法を組み合わせて受けていただきます。頑張って、動ける身体を取り戻しましょう」

日本の慢性痛医療は
世界より20年遅れている

「あの男性の場合、ほぼ『医原病』と言っていい。不適切な治療が原因の腰痛です。腰痛に限らず、日本の慢性痛医療は世界より、20年遅れています」

北原医師は無念そうに語る。

「最も大きな問題は、慢性痛に関する社会的な認知度の低さです。医療者は慢性痛を把握しておらず、一般市民にも認知されていません。現在、日本には約2000万人の慢性痛患者さんがいるといわれ、慢性痛による経済的損失は数兆円に上ると推計されているのに、です」

とりわけ、国民皆保険制度が整っているヨーロッパ先進諸国(特にアルプス以北の北・西ヨーロッパ諸国)およびオーストラリアとの格差は大きいらしい。

これらの国々の腰痛治療の良い点をざっくりとまとめると、次のようになる。

◎保険が出来高払いではなく、定額払い制度である

余分な治療をして支出が増えると、逆に医療機関の収入が減ってしまう(ゆえに、余分な治療はしない)。

◎手術適応を決める際に、現在の症状・所見だけでなく、心理社会的要因も考慮に入れて行う

日本のある病院の脊椎外科では、カンファレンス(治療方針等の話し合い)の際に、各患者の名前(姓のみ)と画像だけを見て、手術が必要かどうかを決定している。年齢、社会的状態(手術後誰がどこで面倒を見るのか、など)、困っている症状、心理的な状態などは一切討議しない。これは極端な例ではあるが、日本の病院ではまれなことではない。

一方、痛み治療の先進諸国では長期的な見地から、手術を行った場合、行わなかった場合、患者の生活にそれぞれどのようなメリット・デメリットがあるかを様々な角度から検討する(多くの場合、脊椎外科医だけでなく、MSW〈医療ソーシャルワーカー〉、PT/OT〈理学療法士/作業療法士〉、臨床心理士などが参加し、対等の立場で議論する)。

◎家庭医制度がしっかりしており、ゲートキーパーの役を果たしている

国民皆保険制度が整っているのにもかかわらず、家庭医制度が確立していない国は、日本くらいしかない。

痛み治療の先進諸国では、手術を行う専門医に患者を紹介するのは家庭医であり、手術ができるか、あるいは手術の『有用性』(その手術をして患者さんのQOL/ADLが改善するのか)を、専門医と連絡を取りながら患者・家族とともに決めるのも家庭医だ。彼(女)らは慢性痛についてある程度教育を受けているので、非特異的腰痛症(※注1)などの元々手術適応が低い患者は紹介しない(手に余る慢性痛患者は痛みの専門医に紹介する)。

また、脊椎専門医も、成功の可能性が低い手術を無理やり行ってうまくいかなかった場合、紹介してきた家庭医の信頼をなくし、紹介患者が減ってしまうので、十分に検討する。

※注1 非特異的腰痛症とは
医師の診察および画像の検査(エックス線やMRIなど)で腰痛の原因が特定できるものを特異的腰痛症、厳密な原因が特定できないものを非特異的腰痛症という。例えばギックリ腰は、椎間板を代表とする腰を構成する組織のケガであり、医療機関では腰椎捻挫(ようついねんざ)または腰部挫傷(ようぶざしょう)と診断される。しかし、厳密にどの組織のケガかは医師が診察してもエックス線検査をしても断定できないため、非特異的腰痛症と呼ばれる。腰痛の約85%はこの非特異的腰痛症に分類され、通常、腰痛症といえば非特異的腰痛症のことを指す。

◎患者も慢性痛についての知識がある程度以上あるため、不要な医療は避ける傾向がある

一般市民への健康情報提供をメインとしたWEBサイトが多くあり、質の高い情報に容易にアクセスできる。また、オーストラリアでは行政が、慢性痛(腰痛)について一般市民への啓発活動を積極的に行っている。

◎集学的痛みセンターシステムがある

集学的とは、患者の病状に応じて、領域横断的に様々な治療法を組み合わせること。北欧諸国やオーストラリアは国策として、慢性痛対策の中心となる集学的痛みセンターが、人口150万~200万人あたりに1ヵ所配置されている。手術適応がない(原因がよくわからない)慢性痛は痛みセンターに集約され、集学的な治療が行われる。また、痛みセンターは、医療者や一般市民への啓発・教育・広報活動も担っており、地域の慢性痛診療のリテラシーの向上に寄与している。

ちなみに、日本では集学的痛みセンターは、横浜市立大学付属市民総合医療センター、愛知医科大学など、全国に数箇所しかない。

◎心理社会的要因についての卒前(卒後)教育が医療者に行われている

ほとんどの国では、健康と疾患に関連した生物・行動・心理・社会学の知識を統合した学問領域である行動科学(behavioral science)が卒前に必須であり、疾患や症状に心理社会的要因が関与しうる、ということを医療者が知っている。また、卒前・卒後教育の中で慢性痛について教えている国もある。

日本でも、外圧により(医学教育の国際認証で行動科学が必須のため)ようやく行動科学が医師の卒前教育に取り入れられることになったが、日本国内に、教えられる人はどれだけいるのかは不明。

「痛み治療が進んでいる国々なら、冒頭の男性のように、安易な手術が行われるようなことはありえない」

北原医師は断言する。

さて、腰痛で整形外科を受診した際、心理社会的な要因について、医師から質問された人はどれくらいいるだろう。大概は、簡単な問診・触診、血液検査とレントゲン検査程度しかされないのではないだろうか。

痛み治療の先進諸国と日本の違いは、あまりにも大きい。

今年8月、北原医師が率いる横浜市立大学付属市民総合医療センター・ペインクリニックは、「神奈川県における慢性痛対策としての啓発活動の実施」と題する事業を企画し、「神奈川県大学発・政策提案制度」に応募。採択され、パイロット的に横須賀・三浦2次医療圏(人口約70万人)を対象として、医療者/一般に対する慢性痛の啓発活動を行うことが決まった。

今後は県の助成金を受け、医療者(医師だけでなく訪問看護師や薬剤師など多職種)、患者とその家族、一般市民に向けた、「慢性痛に関するリテラシーの向上」を目指し、

・医療者向け講演会
・NPO法人ワークショップ
・市民公開講座

などを開催する予定だという。

日本の慢性痛患者2000万人に、希望の光が差す日は近いかもしれない。

◎北原雅樹(きたはら・まさき)
横浜市立大学付属市民総合医療センター・ペインクリニック診療教授。1987年、東京大学医学部卒業。医学博士。専門は難治性慢性疼痛。帝京大学医学部付属市原病院麻酔科、帝京大学医学部付属溝口病院麻酔科勤務後、米国ワシントン州立ワシントン大学集学的痛み治療センターに臨床留学。帰国後、筋肉内刺激法(IMS)を日本に紹介する。2006年より東京慈恵会医科大学ペインクリニック診療部長、2017年より横浜市立大学付属市民総合医療センターに移籍。IMS治療の第一人者としてテレビ、新聞、雑誌などでも幅広く活躍中。